1年という旅、その期間がもたらすもの。

いま、これを読んでいる君に、どうやって「1年」の旅の良さを伝えよう。
伝わるだろうか、わからない。
それでも、書いてみようと思ったのだ。
長い旅は、いいものだ。

1年の旅路がもたらしたもの

自己の変容。
それが、出会いの変容をもたらし、旅も変えていく。
3ヶ月を境に、僕の旅は大きく変わったと思っている。
もちろん、国を移動している。
変わって当然だ。
しかし、大きな出会いが、そこにあり、それから、多くの友人を知り、国もエリアを変えて、長く、滞在するようになっていった。
そこで、新しい自分に出会ったような気持ちにもなった。

帰る、という意識が生む弊害

弊害というとあまりにもマイナスなワードかもしれない。
しかし、「帰ったら」ということがよぎるのは、良いことでもあり、長期間を感じてからすると、よくない余裕、であるのだ。
数ヶ月の旅に、ついてくる、”帰ったらなんとかなる”。
例えば、日本食。
あと2ヶ月で帰ったら食える、というのと、帰りの予定はない、というのでは心持ちがまったく違うのである。
そして、そのいつまでも続くかのように続く長さが、自分に新しい気づきを与えてくれるのである。
帰ったらまた買えばいい、というのは自分への制限と同義だ。
その場で買うしかない、探すしかない、手に入れるしかない。
もしくは、あきらめていくのか。
そうした選択、あきらめ、ひらめきがどんどん自分の中に溢れてくるのだ。

3ヶ月目の壁

おそらくだが、旅にでてから、3ヶ月目は一つ、壁がある。
「あれ?帰りたい」「観光にあきた」
などなど。
結構大きな節目になる。
観光に飽きたりもする。
でも多分、それは自然。
よくあることだが、最初の3ヶ月は
2泊三日ほどで、プランも立てて、どんどん観光名所を回っていける。
毎日が刺激的で、どんどん進みたい、新しいことをどんどんみたい。
そんな気持ちとモチベーションで進めていくことができる。
 
 

非日常の逆転

3ヶ月を超えて、4から5ヶ月目になっていくると
非日常と日常が逆転する。
旅は日常になる。
定住していた日々は、非日常になるのだ。
 

価値がでてくるか

でも、正直、やってみた自分はよかったと思っているけど、それは、個人のバックグラウンド、そして価値観に依存するのは確かだ。
長ければ、ということではないし。
しかし、それでも、3ヶ月目の終わり、フィンランドとトルコを挟んだ時のあのとき、帰国しない選択肢がよかったなあと自分は思っている。
なぜなら、トルコから、あまりにも旅が、大きく変容したからだ。
トルコでの出会い、そして、ジョージアでの自分が感じたこと、出会い。
それは、海外にいる時間が長いと当然その可能性も増えるから、ということはある。
しかし、英語のスキルをとったとしても、トルコ前後での出会いをみても、圧倒的に違うのだ。
 

ものをなくした時の諦めと開き直りのような境地

自分の鎧であったり、諦め、開き直り。
それが良い方向に進み出すのが3ヶ月でもあるように思う。
 
自分が変わることがわかる。
もっと、その場に馴染んでみたり、変えてみたり。
それまでの自分の「型」からはずれてみる。
 
そんな期間が、待っているのだ。
 
ぼくは、きっと、他の旅人も言うと思っている。
 

人生においての1年

そして、長い旅ができるかどうか、というのは人生の中でたくさんの制限によって難しかったりそもそも不可能に思えたりもする。
そうしたタイミングがあれば、ぜひ、チャレンジするべきだ、と思うのだ。
年齢、結婚、病気、お金、さまざまな要因があると思っている。
しかし、今だったらできるかもしれない、というのであれば、挑戦してみるとよいと思っている。
それが、その人の人生においての財産になることは間違いない。