GR事件の変遷まとめ、エチオピア最底辺体験

 
 
 

4/21

マダガスカルからのフライトでアディス到着
 
荷物預け入れがでてこなくて、1時間まつ。
カウンターで一度聞いたら、待ってろというから待ってて全然こないから再度きいたら、八番じゃなくて6番、といわれて
6番カウンターをみたら、どうやらプライオリティで預けられてたらしくて優遇してでてきていた。
ずっと流れていたのか、、、とでる
 
タクシー声かけを避けながら、広場あたりに。
アプリだと160ぐらいで、
200でいいよ、という人がいたから、乗り込んだ。
少し待ってて、と言われて待つ。
タイヤのロック?をはずして、「sorry」と言われつついく。
途中、かばんを後ろに置かれる。
道中、かばんなくなってないか、と不安になり確認するが、ある。
 
宿に到着。
チェックイン。
風呂の電気がつかないので、言いにいく。
変えてくれ、ともいったが、なんか明日ね、みたいな感じでスタッフ笑って出ていく。
 

4/22

12時にでた記憶はないのだが、でていた。
17時まで寝ている。
夜は、晩飯を日本食食おうと思って、さくらまで。
feresのアプリで呼ぶ。
 
とうごうさんに出会う。
kokoroのレストランもあるよ、みたいな話もする。
教会がよい、と教えてもらう。
あまり街はみるものないし、1ヶ月は長いよ、と。
外の治安は一人で歩いてるよーと。
しかし携帯は擦られたことあり、とのこと。
 

4/23

朝飯に9:30ぐらいに起きている。
シャワーに戻って、昼ぐらいから外出。
14時ぐらいにでている。
ハウスキーピングの人がきて、そのままやってもらう。
中で作業をしていた。
 
15時半ほどにイタリアンを食べる。
2500円ぐらい、特に美味しいというわけでもなく。
道中はちょっとこわかった。
サラダがなぜかピリ辛。
 
帰りにtomocaによってマキアートを頼む。
なぜか、90ブルのやつ。
身体がしんどくて、帰り出す。
帰りの道で再度マキアート40で飲んで帰る。
18時ぐらいに戻り。
 
23時57にパスタを食べにでている。
 

4/24

起きる。10:45ぐらい。
リュックががさっと落ちるおと?がした。
 
おきてから元気がでたので、カメラをもっていこうかなと思い、バックアップをしようと探すが見当たらず。
 
なくしたことに気が付く。
リュックを探すと、キンドルもない。
 
チャック、内側のしたものがあいており、
名刺とエポスカードがでていた。
通常あけないので、すぐに違和感を覚えた。
 
荷物、大事なものをまとめてレセプションへ。
なくなったから、スタッフの荷物を調べてくれ、という。
おそらく、調べていない。
マネージャーがなぜかきて、話す。
「タクシーか、ホテルで、」といってしまう。not sure,と。
 
とにかく戻ってパッキングをする。
bookingで3泊追加をいれていたが、14時までは無料キャンセルだったので、即座にキャンセル。
部屋にもどって、パッキングしながら探すがやはりない。
bluetooth接続を思い出し、やってみるがない。
他の場所でも同様。
再度したにおりたときに、bluetoothで調べさせてといったら「スタッフはかばんをもっていない」とマネージャーに言われる。
監視カメラをみせろ、というと今はオペレータがいない、2日後ならみれる、と。
今思うとなんで2日後?
 
その後、作業が必要、昼飯も、だったので、
2階に戻ってパスタを食う。
あと作業。
18時まで。
支払いをして出る。
600+300で900ブルほど。
 
ホテルを移動する。
 

4/25

ホテルで寝て、しょうがないなーと思いつつ、
なくしたからもういいか、と開き直って元気に。
カメラ探しの旅にでる。
北へ歩くついでにレストランで飯を食う。
現地飯、パンとたまごと肉いためたやつ?
180ブル、コーヒーは20
 
北エリアのビルやカメラ店を探して歩いて、ない。
タクシーにのって、ショッピングモールへ。
そこもない。
in-n-outバーガーみたいな近く。
 
現地人が「コンチワ」と言ってくれて、一緒に近くのカメラ屋さんまでついてくれる。
失くしたんだ、という話をしていると
闇市にしかいかないだろうね、と。
 
tomocaコーヒーでコーヒー、マキアートを飲む。
18:30になり、飯をみるとkokoroの近く。
 
いってみるとサイファさんがいて、日本語で話しかけてくれた。
カメラをなくしたんだ、というと、「一緒に警察にいってくれる、」と。
「何食べたい?ラーメンつくってあげる。」とラーメンを作ってくれた。
900ブルぐらいだった650+お茶100
その日、食べて忙しいので待っていて、(彼はシェフだから作る必要があった)
10:30ぐらいから一緒にあるいてほてるへ
明日までに用意しろ、といって、退散。
新しいホテルまで一緒にあるいて送ってくれた。
途中、現金をおろしたい、というと
いくらいるの?ととりあえず600もくれたのだった。
 
その日。
ねむれず、というのも、見つかるかもしれない、という心臓のバクバクと、
帰りたい、帰ったら、誰に会いたい、とか、色々考えていた。
忙しいのに、こんなに対応してくれたのも感謝だし、
もし見つかれば、自分はとても幸運だ。
日本に戻って、何かに挑戦しても、必ずうまくいく、と信じ切れる、みたいなことをおもっていたと思う。
 
証拠画像や、映像を探したりもした。
4時ぐらいまで。
 

4/26

結局、6時半に目覚ましだったので、最後30分ほどは寝たが、すぐにおきてそのまま歩いてむかった。
 
7:45にホテルについて、サイファさんをまった。
8時5分くらいにタクシーできてくれて、一緒に突撃。
 
マネージャをよんで、といって、少し待ってマネージャがきた。
サイファさんと話して、映像待ち、みたいになり。
10時なっても動かないので、警察にいくことに。
警察で話をして、一度一緒にホテルへ。
少し話をして、もう一度警察。
お互いの言い分を聞く、みたいなばになり。
で、その後監視カメラ室へ。
そこから事情聴取などもされ。
カメラをみることに。
11時くらいから?
なんと17時半ぐらいまで。
 
飯も食わず、トイレもいかず。
 
途中、1分だけ時間が飛んでいる箇所をみつけた。
問い詰めると、他のアングルがみれるから、とか、部屋の外に連れ出そうとしたりとか、怪しかった。
意味がわからない。
で、動画もとった。1分飛んでるぞ、と。
パワージェネレータがおちたんだ、といっていたので、
じゃあそれを書いて、というと拒否された。
 
結果、そこしか怪しいところは見つけられず。
翌日、作業をしていて気が付いたのだが、
1分飛んでいて、その後に自分が帰ってきて、レセプションにいくのだが、そこから帰ってくるまでの確認を忘れた。
誰か入っていて、消したなら、出てくる時にも1分とんでいるか、でてくるところがうつっているはずだった。しまった。
 
その日は、サイファさんにきて、と電話しながら、
17時40に終わって戻ると、彼は下で待ってくれていた。
上にはいけない、ということで。
 
パスタを作ってきてくれていて、ホテルにもどってたべて、と。
食べて、少しゆっくりと作業をしてから、
再度kokoroへ。
忙しそうだった。21時にいった。
そしたら、今日は、おつかれ、といってビールをいっぱい僕のためにもってきてくれた。
お客さんが帰るまで待って、少し最後に話をして、
明日電話するから、待ってて、ということで。
 

4/27

案外ケロっと元気になり、作業をした。
ジブンミュージアムのプロトタイプを作ったり。
 
そこで、1分と出るところのチェックをしていないことに気が付いた。
作業をおわらせて、16時ぐらいにいくと、今は外出中、とのこと。
空港へ移動して、17時半ぐらい?
カウンターにいって、クレーム。
キレないと動かないので、SQLのようなものをみせてもらいながら、何度もお願い。
物理的にみせてくれ、とかもいいまくった。
とにかく粘った。19時ぐらいまで、
結局、入れ替わった男の人に、強く言われて、
便名も違うし、日付もちがう。このキンドルは別物だ、といわれて退散。
ここまで粘ったならいいか、という判断。
 
もう一度ココロにいき、怪しいポイントの紙を渡して、
さくらレストランにいった。
「食べていきなよ」といってくれたが、
他のところにいく、とかいっちゃった。ごめん。
 
さくらにいくと、ガーデンしか席が空いていない。
中が空いたらおしえて、といってたら、
すぐに移動になった。
 
移動をすると、1グループが盛り上がっていて、
インド人が、こっちをみて手を上げてくれた。
日本だよ、というとそこに出張にきていた2人が日本人だった。
 
話をしていたら、「テーブルのおいでよということで一緒に食べた。
めちゃくちゃ笑った。
そして、いんどの人たちの暖かさに、「やっぱり好きだな」となった。
あの人懐っこさ、ぐいぐい、ぱっしょん、愛はインドだ!
マリオみたいなガネーシャさん。
日本人のふたりは27さい、30さいで、
ひとりはバンクラデシュに3年半もすんでいたことがあるとのこと。
2230ぐらいまで、わいわいした。
なんと食事代は全て払ってくれた。
帰りも心配してくれたが、タクシーで帰ること。
一人と、wthat’s upを交換した。
 

4/28

今日は待機。
 
bookingからのメールがきた。
チェックアウトして、4日もたっているのに、以下のメールだ。
僕は嫌がらせとして思えなかった。
 
友人とやりとりをしつつ、サイファさんに電話できそうだったので、伝えた。
明日、警察に9時にいくことになった。
これで、終わりにしたい。
 
僕は、もう、この国を出たいという思いが強くなってた。
 
今のホテルも、疑いはあるし、30$で安くはない。
スタッフのひとらはよくみえるのだが、
ルームカードをずっと用意してくれないままでもあった。