バンコクを過ぎて思うこと

 
来る気があんまりなかったらきたら、きたで超面白いし、もっと街散策をしたいと思った。
というのも、観光はしたことがあるが、滞在はないからだ。
 
未だにあの熱情を持ったまま、安いモノは安い。
マッサージ120B480円は奇跡だし、飯も30Bで食うことだってできる。宿は800円らしい。
ただ限界あたりまで低いが、トラフィックの問題があったり、うまく工夫する必要性はある。しかしながらすごい。
 
ソウルから来た時に比べることとしては、生活水準であったり、プレッシャーのなさはやはり目立つ。
バンコクはあまり何も考えなくても良い。
 
スクンビットの通りにいると、親父が勤めていた時、卒業旅行で来た時を思いだす。
プロンボン駅の改札も思い出がある。
 
ターミナル21は便利で安いし、すごい。
SDカードもやっと買えた。128GBで480Bほど。1800円ぐらい。悪くない。
 
あとセブンイレブンが安いし、なんでもかえるのは嬉しい限り。
ワックスや、シャンプーも1回分であるし、スナックも80円とかで買えるし日本のもある。すごい。
 
そうした意味で、長期旅行の途中としてバンコクにくるのはかなりよいことが新しい発見としてあった。
未だにかなり物価は安いし、バイクタクシーもエキサイティング。
チェンマイやプーケットといった新しい都市の体験ももっとしてみたいと思う。
開拓のしがいはまだまだありそうだ。
 
まったく足りない状態での出発となった。それもまたよし。
しかし、3/6にきて、3/11に出るだけでこんなに足りないものか。
 

人と会う予定は楽しいが、かなり時間が食うので、ほどほどにして予定を立てる日を確保したりしないと大変だなとも思った。
そして余裕がないときほど、人に迷惑をかけちゃうし、申し訳なくもなる。
が、なんとなかなってしまったので、よくないなと思ったりも。
旅をしていると一人の時間の確保が楽だ。それも利点かもしれない。
しかしながら、仕事を8時間しながら人との交流をしていくというのはかなり至難の業であり、通常はバイタリティがないと不可能に近しいのではないかということに気がついた。
どこかで一気に変化させるきっかけというものは必要で、それには長い間の努力か、引き寄せるための運のようなものが必要である。