旅にとって大事な価値観と能力とは【お金がある方が楽しいか?】

旅が楽しく過ごせるかはお金ではなく、個人の姿勢が全てである。
 
 
 
「お金がある方が旅は楽しいか」
 
誰もが一度は考えることだと思う。お金が無限にあれば、旅がもっと楽しくなるだろうな、とか、全部5つ星ホテルに泊まれるのに、とか。好きなだけ、たくさんの国に行けるのにな、とか。でも、本当にそこに旅の面白さがあるのだろうか。
旅は、100人いたら100人の楽しみ方があるとは思っている。それでも、自分なりにはこうした方がいい、この方が自分の価値観に合っているという方針や軸のようなものがある。旅Tipsのようなものだ。
 
こんなツイートもみかけた。
「なんでもないところから楽しみを見つける能力が大切」
今日、街歩きをしていて、めちゃくちゃ楽しかった。そして思ったけど、街歩き楽しいのも1つの醍醐味で、旅を満喫する一つのスキルかもしれない。
そうだ、旅に大事なのは、小さな違いを見つける力、変化を面白く捉えるセンサーだ。

身体はまさにレンズとセンサー

カメラの大事なパーツとして、レンズとセンサーがある。レンズが風景を写し、センサーが捉えるイメージだ。
どんな風景を見ようとする(レンズ)か、そして、それをどう受け取ることができる(センサー)かが、旅においても大事なのだと思う。
センサーは人格や教養、知識などと言い換えることができるかもしれない。
いいレンズを持っていても、センサーがしょぼければ、良いものは得られない。レンズは結構課金すればよいものが手に入るイメージ。しかし、センサーはすぐに良くなるものではない。人格とかは1日にしてなるものではないからだ。
良い旅となる要素が目の前に転がっていても、受け手、自分自身がそれをきちんと受け取れないと楽しめないのだ。

旅での大きな出費は宿と食事がほとんど

少しお金についての話題に戻そう。
ふと、旅の中で大きな出費はなんだろう、と考えた。
航空券は旅の楽しさとあまり関係ない気がするので、これは省く。
いくつかの国を移動したりする場合は、バスだったり列車のお金がかかるが、旅の中でかかる出費の大半は「宿」と「飯」であると思う。
しかしながら、旅の中で、「めっちゃおもしろかったこと、記憶に残ったこと、学びを得られたこと」というのは、宿が良かったとか飯がうまかった、にはあんまりならないのではないかと思った。
じゃあ何が楽しかったのか、自分に良い影響が残ったのかというと、そこで出会った人と一緒に旅をしようといって日常を共有をしたり、ふと散歩しているときに見つけたカフェのコーヒーが美味しくて、店員さんと仲良くなったり、美術館にいた美人の写真を撮らせてもらったり、そういう偶然の中にあるものがほとんどだ。
で、これってお金があれば買えるのか、というと買えないものであることが多いなと。
食事も一人で食ったこれが最高だった、というよりもそのとき大事な人とうまいね!と言って食べたパエリアだったりしないだろうか。寒空の下で食べたシェアした食べ物などなど。
 
記憶に残っているという軸でみれば、さまざまなトラブルが思い出させるかもしれない。現地の風邪にかかった。飛行機が飛ばなかった。何かを失くした。
 
そう思うと金がかかる、かけられる宿や食事にいくらつぎ込んでも良いものを得られる可能性は、そこまであがらないケースが多いのではないだろうか。
 
つまり、お金がある状態で旅をしても、行ける範囲が広がったりするものの、結局は自分の受け取り方が面白くなければ、南極に行っても何も感じないのと同じである。目の前にあるものを楽しめる価値観、姿勢が必要だ。

旅から得られるモノ

僕は旅を経ていくことで、そうした感受性、感性、価値観は育っていくと思っている。たくさんの違いを知ることで、器も大きくなるはずだ。
また、そうした楽しむ姿勢というものは旅の最中だけではなく、仕事面や日常面、生活での活かすことができるモノである。だから、旅から得られるリターンは非常に大きい。もちろん、リターンを得るために出るものでもないが、それでも自分自身に返ってくるものが大きなものであると信じたい。
これは、自分のメンターだと思っている人を見ていてもそうだし、旅の途中で出会う人からも自分が肌で感じたことだ。

若い方が旅がいい理由

そうした姿勢をどう作ればいいか?一番簡単な方法は、自分に制限を持って目の前にあるものを見ようとしてみることだと思う。
若いときの旅だ。お金がない。
そういったお金がない状態で飛び出ること。無理やり制限をつけて旅に出れば、嫌でも楽しまざるを得ない。だからこそ、感覚が鍛えられる。
若いうちに旅に行くと良い理由の1つに、これがあると感じる。
若いうちは基本的に金がない。だから、安く行くルートを探したり、お金がかかることを諦めて、他の予定を入れたりする。たまにお金をかける。そのバランスが、お金があるときの楽しみ方と、ないときの楽しみ方のバランスがうまくとれていくよう作用している気がする。
これは、自分の価値観のセンサーを鍛えるプロセスのように感じる。センサーは課金すればすぐに良くならないのだ。地道に、小さく小さく積み重ねるしかない。たくさん試した先に、出来上がっていく。

旅はタイミング

旅もまた、タイミングだと思う。行きたい時、チャンスがあるとき。行けるとき。そうした小さなきっかけを見逃さないか、そういったところが重要だと思う。
友人が留学に行った、出張で訪れているらしい、来年から観光地がなくなりそう。
そういうささいなきっかけを元に、「いっちょいったるか」と決められれば万々歳。レッツゴー。
全ての条件が揃った旅など基本的にないのだ。年齢、お金、責任、仕事、それぞれの尺度で良さそうに思う(と思い込める)時期を選ぶだけだ。
いつか行こう。お金があれば行こうと思っている旅は、なかなかやってこない。し、お金は最低限その国に行くチケット、そして宿、食事代で楽しめる。無理に背伸びをして遠くまで行く必要はないし、思ったより安くでいけるチャンスというものは転がっていたりもする。
 

押しどころ(使い所)は、ある

結果的に、旅行談や非日常体験というのは、半年ほどかけて熟成されて大体「良かった」とはなる。でもだからこそ、お金をかけどころのようなものが存在もしていると思っている。
ビーチに行くだけでも楽しいが、そこでしかできないダイビングがあれば、課金してアクティビティにチャレンジをするとよいと思う。ビーチにあるレストランでの食事も良いとは思うが、そこはあまり大事ではないように思う。
その場でしかできないこと、その場だからこそなこと、時期があっている時だけのこと。そうしたものにはお金を使って経験を買って良いだろう。経験ベースで考えると、大きなはずれはないと思っている。
また、いつか来るかもしれないはなかなか来れないし、もしかするともう二度とこないかもしれない。そのことをよく考えて、今あるリソース、お金と時間をどうするかは慎重に決めていいと思う。余裕があれば、基本的に体験できることには課金をしていってよいと思う。
また、自分が好きだと思うことにきちんと使うこと。興味がないことは、後回しでもよい。でも興味がないからこそ、自分の幅が広がるチャンスがあることも忘れてはいけない。
面白くなかったとしても、それが今後の面白いコトをみつける嗅覚になったりもする。
まずい中華屋さんを食うことで、うまい中華屋さんが浮かび上がってくるイメージだ。
そこはハイリスクハイリターンも含めて楽しむとよいと思う。お金をかけたのに、あんまりだった経験。お金をかけてよかった経験。これによって自分の価値観が浮き彫りにする効果もある。
 

さいごに

ちなみにだが、190カ国ほど回ろうとすると、1年しかないなら2日ずつでも足りない。じゃあ2年あっても3泊と半日ほど。
そもそも、時間というものはほぼ足りていないのだ。いつかお金ができたら行くぞ、というのはもしかすると現実的ではないのかもしれない。なら、なるべく早く、今できる範囲での旅を考えるほうがよさそうではないだろうか。そこに必要なのは、楽しもうとする姿勢、最低限の費用、ちいさなきっかけと大きな決断、それだけだ。
金があれば良い旅になるわけじゃない、もしお金持ちになったとしても、その姿勢を忘れたくないので、ここに残しておく。